君の楽譜・僕の音色Z
そして、答えを出す日が近づいて来て、時間は流れるように過ぎ去って行った。
僕の答えはもう決まっている。だいぶ前から決まってたはずなのに、心は重い。
いつも通りに水穂さんの家へと足を運ぶけれど、全然進んでる気がしない。
でも確実に近づいて来ている。
段々と見慣れた町並みが姿を消して、今度は新しく覚えた町並みが顔を出し始めてきた。
ヴァイオリンをギュッと抱きしめて、僕は勇気をもらうみたいに眼を閉じた。
ギイ、ごめんね。不安にさして。
僕は大丈夫。もう迷ったりはしないから。
心を落ち着かせてからまた歩き出そうとしたら僕を呼ぶ声がした。
「タクミ!」
「…水穂さん!」声の主は水穂さんだった。後ろから近寄ってきた彼は、嬉しそうな表情を浮かべている。
「どうしたんですか?用事でも…?」
「いいや、ちょっとおやつが切れてたからね。そこのコンビ二まで買出しさ。
タクミが来る前に済ませておこうって思ったのに、店員が鈍くて…少し時間がくっちゃった。
さ、一緒に家まで行こう。」もうわかってるんだ。僕がここに来る目的と、今日で最後ってことが。
なのに、顔に出そうとはしない水穂さんの優しさ。
その後姿が妙に寂しくて、胸がチクリと痛んだ。
「さぁタクミ座って。今日は先におやつを頂こう。実はおなかがペコペコなんだよね。」
成すがままに座らされてテーブルの上には、いつの間にか湯気の出ている紅茶。
手に持って液体がこぼれない様に円を描くように回すと、そこに写った電球の灯りも一緒に揺れた。
「あの、水穂さん…」
どう切り出せばいいんだろう…どのみち、遅かれ速かれ、行き着く場所は同じだ。
「タクミ、少し話をしようか。」
「…話、ですか?」
「そう。話、を。んーそうだね。僕が音楽家を目指すきっかけ…なんてどうかな。
父親はピアニスト、母親は声楽、弟はフルート、そして僕はヴァイオリンという家系で育ったんだ。
もう皆音楽一筋…って感じで、勿論それは僕も一緒。
僕が小学生の時、父親の薦めであるヴァイオリンの大会に出場する事にした。
でも、前日に 井上佐知が出る事を知り、すごく動揺したんだ。…彼は特別だからね。
しかし当日、ん〜確か僕の前だった。
僕はもっと動揺したんだ。井上佐知ほどではないが技術もあり、何より自分らしさを音楽に素直に練りこませてた人がいたからね。」水穂さんは穏やかに目をつむり、まるで昨日のように話した。
「それがタクミなんだよ。」
「…え…」
「だから、僕はきっと、タクミの音楽に惚れてたんだ。
…お願いだ。今はそういう事にしといてくれ。」水穂さんは知ってる。
僕がどういう答えを出すのか。
その言葉は聞くのも言うのも辛い僕と彼。
最初から、答えを僕の口から出さないように気を配ってくれたんだ。「ん。僕は留学に行く。いつかタクミに胸をはってコンサートチケットを渡せるようにね。」
「…水穂さん…」
「…悲しまないで、タクミ。君が悲しむ事なんて一つもないんだよ。」どうしてこんなにも彼は優しいのだろうか。
同情や自分を良く見せようと言う欲がない慰めは、余計に心に染みる。「そうだった!今日、友人が来るだ。…悪いけど帰ってもらってもいい?」
それも彼なりの優しさに僕は気づいている。
「…じゃあね、タクミ」
一瞬、目の前が暗くなったかと思うと、僕の頬には涙の後が残っていた。
「…ただいま、ギイ」
「タクミ…!」僕は迷いなく、ギイの0番へ足を運ばせた。
ギイは落ち着きがない様子で僕に近づいて来た。「ギイ、ギイ…!ごめんね。僕が弱いせいで…ギイを心配させてしまって…!」
ギイの腕に抱かれ僕は安心したのか、涙が自然と流れてくる。
神様、ありがとう。
僕をこの人の腕に戻して下さって…「いいんだ、タクミ…ありがとう、俺の元に帰って来てくれて…。」
今は言葉はいらない。
ただ、思うがままにキスをした。
END