弓なり月夜の夢の如し 参
そうして一週間ほど、お互いを避ける日々が続いた。
あの日を境に一緒にご飯を食べる事もなく、行動することもなくなった。
学園ではそろそろ全学年が期末テストの準備に取り掛かろうとしている。
そんな中、岬は弘に呼び出され、屋上へ足を運んだ。
キィ…と重い戸を開くと先に弘が来て、街を見下ろしていた。
学校の屋上から見る街は玩具のミニチュアみたいに小さくて、山の奥まで見渡せる。
「…あずりん、付き合ってるんだってね。」
「………」
「原野はやめた方がいいのに。…あずりんだってわかってるくせに。」
弘の声をさらうかの様に強風が吹いた。それはすぐに静まり、いつもの風に戻る。
空が眩しいほどに青く、広大に存在している。太陽を隠す雲一つなく、弘は思わず一面の青空を眺めた。
「…どうなるんだろうね。」
岬は最後まで喋らず、街を見下ろしているだけだった。
時計は5時30分を少しまわったとこ。空はまだまだ明るく、運動場では部活動が行われていた。
あずさは何も考えずに、窓際の机の上に座り運動場を眺めていた。
こうやって、何かのことを一心に見てると一時的でも嫌な事を忘れてしまう。
コレはいい策だと感心した。
今までは岬といつも一緒で、一緒にいるだけで嫌な事を忘れることができた。
岬の声に呼ばれて、キスをされて、抱きしめられて。恥ずかしくて離れようとしても、きつく抱きしめてきて。
今頃弘とそんな事をしてるのだと思うと、ムショウにやるせない気分になってしまう。
「…原野、早く来ないかな。」
ただでさえ涙腺が緩まってるのに、岬の事を考えるとまた泣きそうになる。
今は何でもいいから、気を紛らわしてくれるものが欲しかった。
――誰でもいいから、俺の心を何とかしてよ――
ジワ、と涙が目にたまる。
そこにタイミングよく、誰かが入って来た。あと数分、入ってくるのが遅かったら涙が頬をつたっていただろう。
「原野?」
「……」
「…岬。」
運が悪いのか善いのか、教室に入って来たのは岬だった。
あずさにとって、今一番会いたくない人物。二人きりだなんて論外である。
この場を逃げ出したい衝動にかられたが、逃げ出してどうなるだろう?どうもならない事は承知。
それに自分は悪い事はしていない。だから逃げる必要はない、と咄嗟に考えた。
一歩、そしてまた一歩と、自分に近づいて来る岬から視線が外せないのは、どうしてだろうか。
「一人?」
「…うん。」
「運動場、見てたんだ。」
「…うん。原野待ってて、退屈だから。」
それきり、会話が途絶えた。辺りには異様に聞こえる静寂音。
運動場からはボールを打ち合う音に混ざって、部員達の楽しそうな声が小さく聞こえてくる。
岬の顔をまともに見れず、あずさは下を向いたままの体制を自然としていた。
「…あずさ、原野と本当に付き合ってるの?」
どうして今、そんな事訊くの?とあずさは少し困惑した。
「岬には、関係ないだろ。」
「キスはした?」
自分の声には何の感情も無い、と岬は感じていた。ただ喋るだけのロボットみたいに。
冷めた口調で、どうしてそんな質問をしたのかもわからない。
ただ、口が勝手に動いていたのだ。
「…したよ。キスより先もいっぱい、教えてもらった。」
理性が切れた
「俺があずさのこと、3年間も好きだって言ってるのに今更、こんな仕打ちか。」
「岬は戸川先輩と付き合ってるんだろ!俺が何しようか勝手だ。ほっといてくれ!」
乾いた音が教室に響いた。
教室に人がいなかったのは、不幸中の幸いだろうか。
岬はあずさの頬をぶったのである。それは、スローモーションのように感じた。
「何すんだよ!」
ぶたれた方の頬を片手で押さえ、怒りを顕わにし、岬を睨んだ。
目が会うと今度は両手首をつかまれ、振りほどこうとしたが、解けなかった。
鋭い目で睨まれると、心まで見られてる気がする。
この時初めて、あずさは岬が怖いと感じた。
「あずさが何しようと勝手だ。誰と何したって俺には関係ない。でもね、あずさが何しようと、何したって俺はあずさが好きなんだよ。」
真剣な瞳で見ないで…。自分を騙しているのに、騙せなくなる。
「…いたい…」
岬は自嘲するかのように、鼻で笑いを零した。
「動けないだろ…?いつだってその気になれば、あずさなんて犯せるんだぜ。」
「犯したければ犯せばいいじゃん!俺は一向に構わないよ。」
あずさを捕まえる手に力が増した。
どうしてそんなに俺を挑発する真似ばかりするんだ!
あずさの細い手首が折れそうなほど、きつく握り締めている。
「あずさの気持ちを本当に手に入れなければ、ヤったて意味がない。」
岬はゆっくりと手首を解放し、教室から出て行った。
校内にはクーラーが効いていて、汗なんてかいてなかった。なのに制服は汗で湿っていた。
掴まれた手首が、導火線のようにジンジンと熱い。火がつき始めたように、鼓動が早くなる。
岬が出て行ったあとから、目が離せなくて、いなくなった今でもずっと扉を見てしまう。
まだ、感触が残っている。
「都津川、またせたな。」
圧倒的な力の差。怖くて涙が出た。
自分は決して非力な方ではない。腕力だって、人並みにはある方だ。
なのに、岬にはビクともせず、抵抗すらできずに終わった。
どこかで岬は、自分を許してくれると思っていた。最後は、笑って許してくれるって。
――岬、好きなんだよ。じゃなきゃ冗談でも男となんて、キスできないよ…