弓なり月夜の夢の如し 五
「俺、原野とは別れたよ。」
昨日、自分の体を求めてきた原野。キスされた時はなんとか我慢できた。
でも、体を触られると虫唾が体中を走り、気づいたら突き飛ばして別れの言葉を告げていた。
「…ふーん。」
本来の岬ならここで、あずさを抱きしめては喜ぶのであろう。
犬みたいに尻尾を振って、抱きついては離れない。
しかし今、驚きも安心もなしに岬は以前と煙草を吸う。夜の空間に赤い光が一つ浮かんでは消えてを繰り返していた。
岬はあずさの前で煙草を吸った事がない。吸う必要がなかったし、吸いたいとも思わなかったから。
でも岬はあずさが煙草の煙が苦手なのを知ってのことか、窓を開けた。
窓を開けると風がひっそりと流れ込み、煙をさらう。
「…岬のせいで別れたんだ。」
途端、怒鳴られる事を覚悟した。「何で俺のせいなんだよ!」と。氷のように冷たい罵声かもしれない。
なのに岬は何も言わなかっただけに、反応が余計に怖い。
何を考えてるのかが解らない。
「原野と付き合ってても、一緒にいてもずっと、岬の事考えてる。」
何が哀しくて突然涙なんて流れるのだろう。岬に泣いているのがばれないように、必死に嗚咽を殺す。
この時間が夜中でよかった…とあずさは改めて思い直した。
ここ最近、自分は泣いてばかりいて臆病者になっているのに気づいている。
岬の事で、こんなに弱虫になるなんて思いもしなかった。「もうやだよ…。岬が俺の事見てくれないのって…。岬が俺の事嫌いでもいい…
友達のままでいて、お願い…。」どうやったら、岬の心を繋ぎとめることができるのだろうか。
「…今度は…俺が、岬に好きってちゃんと、伝える…。」
ついに涙が我慢できなくなり、顔を手で隠してしまう。嗚咽も洩れ始めて肩を小刻みに震わせる。
岬はそんなあずさに気づいており、人一人分の距離を一歩縮めた。
「あずさ、」
岬は泣いているあずさを力いっぱい抱き寄せ、頭を撫ぜた。
絹のような感触の髪が静かに揺れる。
「ごめん、限界。なんでこんなに可愛いんだ…。あずさの事、本気で嫌いになれるわけないだろ…?」
観念したように、でもひどく切ない声をしてあずさの耳元で囁いた。
こんなにあずさを苦しめていたなんて、岬は少し困った。
でも、愛しさの方が何倍も強くて、抱きしめている手に力がこもる。腕の中にいるあずさは、少し痩せた気がした。
弘が登場してからずっと、元気がなく、笑顔も減り、たまに見るのは空元気と作り笑顔。
そんなあずさが心配で、いてもたってもいられなく何回声をかけただろうか。
でも、返って来る答えは「平気だよ。」の一言。
「…みさき…」
甘い声が聞こえた。くぐもったような声。
「それって、あずさも俺の事好きでいいの?」
「…うん。」
あずさは恐る恐る、岬の胸元を軽く摘み、より一層顔を岬の胸にうずめる。
大好きな岬の匂い。久し振りに触れることを許された嬉しさにまた涙が出る。
そして岬はゆっくりとあずさを地面に押し倒した。
不安そうに自分を見るあずさに少しばかりか欲情をしてしまった。
目と目がぶつかり、お互いの瞳が大きく揺れ、艶のある潤いが光に宿る。
あずさは恥ずかしそうに視線を反らし、顔も背けた。
長いこと目を合わさなかっただけなのに、初めて会った時の感情を思い出させる。
思えばあの時から夢中だったのだ。運命が具現化したとさえ思わせた。
「ちゃんと言って…。じゃないと心配なんだ。」
言葉にされると安心できる。言葉だけでは物足りないとか言うが、今は言葉より確かのモノはないのだ。
「…好きだよ。岬、大好き。好きじゃないと男となんて、冗談でもキスできないよ。」
それを聞き、岬は嬉しそうに頬を緩めた。安堵し、甘い、とろけるようなキスを落とした。
と言っても、ただ唇が触れ合うだけだったが、体には電撃が走ったように疼いた。
今まで何回もキスだけはしてきたが、今日ほど緊張した事はきっとないだろう。
二回目のキスはお互いを確かめ合うように、深く潜り込んだ。舌に吸い付き、ワザとらしく音を漏らす。
絡まってくる舌に、稚拙ながら自分からも絡め、岬を感じる。
息もできないほどに激しく貪られて、苦しくて岬をつかんだ。
腰にくる、甘美な快感。これだけでもう、中心が疼いて止まることを知らない。
岬はやっとあずさの口から名残惜しそうに口を外した。見るとあずさは、感じてしまったらしく、力が抜けていた。
「涙の味がする…」
「岬のせいだからな…」
「…うん」
一方通行の恋だとばかり思ってた。キスも冗談か何かだと思ってたけど、ソレを止めれなかった。
一度知ったキスの味は、岬を虜にするほど気持ちよかったのだ。
あずさの本心を知った今、キスもその先もできるようになった。岬は純粋に、喜んだ。
あずさの方も本当は岬に、見えない信号を送っていたのだ。同性、という事もあり、上手く答えを出せずにいた。
やがて二つの恋はお互いを受信し、一本の光となった。
花のように咲き乱れる心地よい気分の二人を、初夏の夜の空気が優しく包み込む。
天には祝福するかのように、月が冴え、星が瞬きをしたいた。